“幸せになること” を求めて会社を作った男の「これまで」と「中間報告」

「あなたは今幸せですか?」
こう聞かれて、どれぐらいの人が「YES」と即答できるだろうか。

もしかしたら、それについてちゃんと考えたことがない人もいるかもしれない。

自分にとっての「幸せ」を考えた結果、長年勤めた会社を辞めて独立した1人の男のインタビューをお届けする。

(取材・執筆:おまみ)

*この記事は2022年4月時点の情報を元にしています

お話を伺った方

羽田 啓一郎
羽田 啓一郎

新卒でマイナビに入社し、大手企業の法人営業を担当。そのほか、同社にて学生向けのキャリア教育事業を立ち上げ、MY FUTURE CAMPUS、キャリアインカレ、キャリア甲子園、課題解決プロジェクトなどを立ち上げ。2020年3月にマイナビを退社し、株式会社Storobolightsを創業。企業や大学での講演や執筆、そのほかにも自身が立ち上げた大学生向けキャリア支援サイト「街角キャリアラボ」の運営など、幅広く活躍している。

このCareer&lifeも、本人のライフワークの一環として2022年5月に立ち上げた。

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意識高くなくても、起業はできる

ー今回、羽田さんに聞きたいテーマは「40歳で会社を辞めて起業する」という決断と行動力についてです。3人のお子さんと家のローンも抱える羽田さんが、そんな年齢になって起業をするに至ったお話を聞かせてください。

ちょっと取材の前提からひっくり返しちゃって申し訳ないんですが、起業するにはものすごい決意とか明確なやりたいことのプランがあって‥みたいに、なんとなく「起業=優秀で志のある人しか出来ないこと」みたいなイメージを持っていませんか?

ーそういうイメージですが、違うんですか?

僕も実際に起業するまではそう思っていたから分からないでもないんですが、僕は別に優秀なわけでもないし高い志があったわけでもないです。だからまさか自分が独立するとは思ってませんでしたが、やってみたら「意外とできちゃうもんなんだな」というのが実際の感想です。実際のところ僕が前職のマイナビを離れた理由も、単純に“幸せ”になりたかったからっていう、それだけだったので。一攫千金を狙っていたわけでもイノベーションを起こしたかったわけでもない。だからご質問いただいた「決断と行動力」があったかというとそうでもなく。

ーつまり、マイナビでは幸せじゃなかった、ということですか?

いやいや、マイナビで働いていた頃は本当に楽しかったですよ。クライアントへの提案のために夜中まで会社に残って企画書を作ったり、受注できたらチームみんなでお祝いしたり‥今思うと、ワーカホリックになってたなと思うけど、それぐらい熱中して働ける楽しい仕事でした。

“これでいいんだっけ?”という違和感

ーではどうしてマイナビを辞めることになったんですか?

一言で表すなら、「事業に対する方向性のズレ」ですね。自分にとっての幸せと、会社の中で自分が果たさなければならない役割が乖離してしまった。20代から30代中盤の頃って、ひたすら目の前の仕事に一生懸命。がむしゃらに目の前の山を登っている状態で、あまり全体を俯瞰して見ることはできなかったんです。でも30代後半に突入して、会社でそこそこのポジションになって、自分がやっている事業を見渡してみたときに「あれ、なんか違うかも?」と感じてしまった。

ーがむしゃらになって登った山だったのに、それはつらいですね

それで、悶々としながら働いていた期間があったのですが、自分が40歳になるタイミングで、急激に自分の人生の意味について考えてしまったんです。変な言い方ですが、突然「自分の人生の終わり」を意識し始めてしまった。この先の残りの人生を、ずっと不満や疑問を抱きながら生きるのだろうか、、と。それで退職を決意したのが2019年の4月です。

ー実際に退職をされたのが2020年2月ということは、退職を決意してからの1年間で起業の準備をしたということですか?

いや、最初はどこか受け入れてくれる会社に入ろうと思って転職活動をしていました。と言うのも、退職を決意したとき妻に「会社を辞めて独立してみたい」ってちょっと話をしたことがあって。その時は「え、そうなの?」ぐらいで終わったんですが、その数日後に小2の娘が突然僕に「小学生ってアルバイトできる?」と聞いてきたんです。「小学生でバイトはできないよ。どうして?」って聞いたら、「だってお父さん、会社辞めるんでしょ?お金がなくなっちゃう」って。

ーそれはなかなかキツイものがありますね・・・。

はい。それで、自分勝手に動ける立場じゃないんだなと思って、本当は独立に興味があったけど、人生初の転職活動をすることにしたというわけです。だけど結論、あんまり良い縁には恵まれなくて。良い条件でオファーをくれる会社はいくつかあったのですが、どれも同業種ばかりで、自分がジョインしたいと思えるような出会いはなく。どうせ転職するなら心機一転で全く違う業界に行きたくて、異業種で行きたい会社はあったんですが、結局そういう会社にはご縁がなくて。

ー成果を残していても、転職活動はうまくいかなかった、と。

40歳になって、全く実績のない異業種転職は難しいんだなと。でも、会社には退職の旨は伝えてしまっていたので、会社を辞めることは決まってて。どこか妥協して転職することもできたと思うんですが、退職の理由が自分の人生を生きたいと思ったからなので、妥協した転職は違うだろう、と。

そういうこともあって、「1年で形にならなかったら再就職する」という条件のもと、元々志望していた独立をすることにしました。退職金やら何やらで、最低でも1年間収入がなくとも家族5人を養っていけるお金はあったから、1年間だけやってみようって。

ーその「条件付き独立」を決めてから、どんな準備をしていたんですか?

退職を決めてからの1年間、ほぼ毎日定時で仕事を終わらせて、社内外問わず、いろんな人と会って話をしてみるってことをやっていました。良くも悪くも、入社以来ずっとワーカホリックだったので、他の会社や仕事ってどうなんだろうっていうのが純粋に知りたかったし、自分がその時感じていた仕事に対する違和感は客観的に見るとどうなんだろうっていうのも確かめたい気持ちもありました。

ーそのあたりについて、何か見出すことはできましたか?

まず自分のなかでの大きな発見としては「みんな楽しそうに仕事をしている」ということ。キャリアに悩んでいる時ってネガティブ思考になってしまっていたんですが、違う世界の人たちと話をしてポジティブな空気に触れることで、自分がそういうモードになる、というか。自分の思考のリミッターが徐々に外れていく感覚がありました。いかに自分が、閉じられた世界のなかで物事を考えていたのかっていう事を強く実感させられましたね。

ただこれは決して、マイナビがダメで他の会社が良い、とかそういう話ではなくて、同じ組織の人とばかり関わっているとどうしても自分の考えもその組織に染まってしまうということ。だからこそ、日常が関係ない人と会って話をすることは、すごく大切なことなんだと思います。他にも、ボランティアでベンチャー企業を手伝ってみたりもしたし、とにかく退職までの1年は別の世界の空気に触れるということを意識的に行っていました。

人との繋がりで広がった、起業1年目

ーそうした期間を経て、2020年の2月末でマイナビを退職していよいよ独立されました。2020年と言えばちょうど、コロナウイルスが日本で流行した時期と重なっていますが、そのあたりはどうでしたか?

まさにその時期と大被りで、2020年3月に独立したと思ったら緊急事態宣言が出てしまって。それで予定していた最初の仕事のほとんどが飛んじゃって。独立後の初月売り上げが、なんと7万円でスタートしました。

ー7万円‥。一家の大黒柱の収入としては、かなり厳しいですよね。

「まじでやばい」と本気で思いました。だから、そんな中でお仕事をくれた人には本当に今でも感謝してます。多少無理のある依頼でも今でも引き受けますしね。御恩を返したいし。

そして古巣のマイナビの色々な人からも次々とお声がけをいただけたのも驚きでした。自分は会社の中で決して人付き合いがいい方ではなかったので、社内では孤立してると思っていたんですが、自分の仕事を実は多くの人が見ていてくれたんだな、と。いろいろなことは繋がってるなあと思いましたね。

そんなこんなで、独立のスタートには躓いたわけですが、どうにか挽回し、5月には法人化して「株式会社StroboLights」を設立しました。

ー躓きからの挽回するまでの速度がすごいですよね。でもどうやって他の案件を増やしていったのですか?

ありがたいことに、自分から営業をかけてお仕事を取りに行ったことはまだないんです。全部今までの付き合いとか、仕事が繋がってまた別の仕事に繋がる、という感じでやらせてもらっていて‥本当にありがたいです。

ーそれだけで2年もやっていけるって‥相当な人脈がないと難しくないですか?

人脈の数よりは、明確に自分の得意分野を持った上で、SNSを通じて「自分は今、こういうことをやっている。こういうことが出来ます。」というのを、しっかり発信していたことが大きいと思いますよ。自分には何が出来るのか、人に知ってもらわないと価値は生み出せないですから。独立してからちゃんと使い始めたtwitterも今やフォロワーが5,000人を超えているし、やっぱりSNSは馬鹿にできないですね。

ー「何を発信するのか」が非常に大事ということですね。

そうですね。そういう意味では、20代とは違って30代後半からは「自分の武器は何なのか」というのを日々意識するのは非常に大切なことだと思います。

起業2年目にして感じた孤独と虚しさ

ー初月こそ大変でしたが、好調なスタートを切った起業1年目。2年目はどんな年だったのでしょう?

2年目は‥本当にしんどい1年だったなと思います。もう会社をたたんで、どこかに就職しようかなって思ったぐらいですから。

ー何にそんな思い悩んでいたんですか?

1年目にはまず「お金を稼ぐ」ことに重きを置いていて、とにかくがむしゃらに働いて、無心で仕事をしまくった1年でした。そんな1年目を過ごした僕を襲ってきたのが‥「巨額の税金」です。

ー巨額の税金‥。

いつ仕事がなくなるのか怖いから、1年目はなるべく支出を減らしてキャッシュを貯めていたんですが、そこで貯めたお金の約半分が税金で持っていかれる、ということを体験したのが2年目です。税金の仕組みについて少しは勉強していたので、こうなることは頭では分かっていたんですが‥結構メンタルやられるんですよ、それまでひたすら頑張って貯めたキャッシュが、1日にしてゴッソリ減るというのは。

ー確かにそれは精神的にきますね。お金ってある意味、可視化できる頑張った証ですもんね。

これはフリーランスあるあるのようですが、「生存欲求」を満たすために1年目はとにかくお金を稼ぐことにコミットするんです。で、2年目に少し慣れてくる。そうすると別の欲求が芽生えてくるらしく、僕の場合は「チームで味わう喜び」を求め出したのです。どうしても一人で仕事をしていると、仕事を通じて感じる喜びを分かち合える仲間がいない。僕はそこに対して、すごく孤独感を感じるようになってきたんです。

ーお金もガッツリ持っていかれる上に、孤独感に苛まれたのが2年目、ということですね。

1人で頑張って働いてもどうせ税金で持っていかれる。それなら一体僕は「何のために仕事してるんだ?」とすら思いました。こんな気持ちになるなら、いっそのことどこかに就職しようとすら思ったぐらい、働く意味を見出せなくなってしまいました。もともと個人プレーが好きだし、他人に依存するタイプでもなかった自分がこんな感情になったのは、自分でも驚きでした。

ーだけど、“やりたいことを自由にやっている”という状態は、羽田さんが仕事を頑張るモチベーションにはならなかったんですか?

そうですね‥。本当にありがたい話ではあるのですが、2年目は1年目以上に仕事の依頼が増えていって、会社の業績はどんどん伸びた一方で、自分で始めた事業に時間を注ぐことすらままならなくなってしまったんです。僕はもともと幸せになりたくて会社を辞めて、自分の会社を作ったにも関わらず、いろいろな面で停滞していたんです。改めて自分1人で会社を回していくことの難しさを痛感した1年でした。

来たる3年目に追い求めたいもの

ーいろいろな葛藤があった2年目を経て、いよいよ3年目を迎える今年はどんな1年にしましょう?

3年目は、自分のやりたいことでお金を稼げる「仕組み」を作る、というのが目標です。細々と続けてきた、自分のやりたい事はまだマネタイズするに至っていないので、その仕組みを作り上げることに時間を使いたいなと。もちろんクライアントワークも引き続きやらせて頂きながらにはなりますが、割く時間の配分を変えていくところから始めていくつもりです。やってみたいと思う新しいプロジェクトも少しずつ仕込んでいますし。

ー少し風向きが変わりそうな予感がしますね。

そしてこの4月から社員ではないけど、新しく一緒に仕事してくれるメンバーが何人かいまして。その人たちと一緒に新しいプロジェクトの仕込みをいろいろ進めてて‥正式に始まったらいろいろ大変なこととかもあるんだろうけど、準備の段階はやっぱり楽しいなと。

ー羽田さんは3年前に「幸せになりたい」という理由から会社を辞めて、起業するに至りました。そんな羽田さんは今、幸せですか?

幸せだと思いますよ。本当悩みは尽きないし、日々いろいろ模索しながらより良い状態にするため頑張っている日々ですが、3年前の決断に後悔したことは、一度もありません。

ー羽田さんは常に上向きで、どんどん前に進んでいっている感じですね。

“僕にとっての幸福”を求めているときの状態がそう見えるのかもしれませんが、僕自身は決して上昇志向が高い人間ではないと思います。「キャリア」という言葉ってなんとなく、“上り詰めて行かなきゃいけないもの”みたいな印象があると思うんですけど、必ずしもそんなことないですから。自分自身の幸せが実現できる人生であればそれで良いんです。このサイトを作ったのも、まさにそんな想いからです。

ー人にとっての幸福な状態が十人十色であるように、キャリアに対する向き合い方もいろいろであるべきですよね。

そうですね。インタビュー冒頭でもお話をした通り、僕には高い志があったわけでも、リスクをとった大きな決断としての起業ではなくて、自分にとっての幸せを実現するための手段がたまたま独立だっただけですから。イノベーションにも上場にも興味はないし、人生において何を残せたかとかそういうのなんてどうでもよくて。大切な人と美味しいものを食べて「美味しいね」っていう時間だったり、運動した後に温泉に入ってポカポカしながら笑ってる時間を過ごせていればそれでいいって思いながらやっています。そんな人でも独立・起業はできるってことはみなさんに知ってほしいですね。

ー「自分にとっての幸福な状態はどんなものなんだろう?」と考えるきっかけになった気がします。今日はありがとうございました。

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